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ココナラ dancenet

日時: 2018/05/27(Sun) 13:22
名前: 匿名

他でサギ師として晒されていますが、実際のところどんな感じでしょうか?
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Re: ココナラ dancenet (No.50)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:08
名前:

3

今いるポジションがあります。
社会的なポジションであれ、小さなコミュニティ内であれ、あなたの判断能力は優秀ですから、自分がいるべき時と、ポジションを明け渡す時をはっきりと区別できるでしかょう。
これは才能のひとつなのです。

経済力を求め、人々の賛美を求めるのは、これはただの欲ではありません。
世間一般として、これらの向上心をある種の欲である、と断定することが多いでしょうけれど、これはあなたには当て嵌まらないのです。
求めながら恐怖するというパラドクスが心には存在していることがその証明といえます。
つまり、あなたの知性が求めているものではなく、人間としての経験として学びを得るために、魂が求めさせているからです。
だからこそ、強さを欲しがるのでしょう。
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Re: ココナラ dancenet (No.51)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:10
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4

そして同時に心には葛藤が生じて、ある面では、攻撃的な部分と、消極的な部分が混在するわけです。
本能が求めるのであれば、むしろ、認めてしまえば良いだけです。

心の領域で葛藤が生じると、しばしば冷酷さとして外へ表れることもあります。
大切なことは、強さ、弱さと二極化する必要はまったくないと知ることです。
どちらもなければならないから、ある。それだけの理由です。
それぞれに意義があるわけです。
感情を伴って、サインとして魂が教えてくれているに過ぎません。
強くなければならないと考えるのではなく、どちらも自分の心には違いないと認識できた時に、あなたは真の強さを手に入れます。
つまり恐怖心を払拭した瞬間があなたの才能の発揮であるということです。

あなたの心の奥底には凄まじいパワーが秘められています。
周囲に拡散すれば、非情なる存在感としてのオーラを纏わせるほどの強大な力です。
独立姿勢は、自由の本質ですから、認めこそすれ、責められる必要などなにもありません。
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Re: ココナラ dancenet (No.52)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:11
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5

つまり心をベースに置いた行動指針が、あなたの人生を前進させるパワーとなってくれるのです。

多くを求めるのではなく、深く、深く掘り下げるように。
そして決して焦らないこと。
チャンスを追いかけるのは素晴らしい好奇心の賜物ですけれど、深さがない分だけ得られる学びも少なくなってしまいます。

つまり強大なパワーは分散させて活用するのではなく、一定の方向性を与えてあげねばならないわけです。
方向性を定めたあなたの才能は、見事に発露するでしょう。
それは明確な自信となり、一切の恐怖心を消し去ってくれることになります。
いわゆる目覚めとはこの状態を指すといっても良いのです。
すなわち完全なる心の安定です。
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Re: ココナラ dancenet (No.53)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:12
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6

豊かさ、快適さ、自己信頼。
これらはキーワードのように人生に存在してきたでしょう。
指し示すものはただ一つです。
自分への信頼は、人生への信頼と同義であると悟って欲しいという魂の声に他なりません。

そのために必要なもののすべてを、あなたは持っていることを思い出して欲しいのです。
そして、行動力、影響力、責任感。
およそ人が欲するこれらの要素を、最初からあなたは持って生まれてきています。

人々を先導する能力がこれらのキーワードには含まれており、影響力の高さを鑑みれば、自然と高位のポジションを欲するのは自然の摂理です。
であれば、求めてしかるべきでしょう。
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Re: ココナラ dancenet (No.54)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:19
名前:

7

人々があなたに抱くイメージは様々です。
時に穏やかであり、時に依存傾向の強さと捉えられもします。
この依存傾向は、パワーの強さだけ執着させ、そして無意味さをいつか学ぶ為の経験だといえます。
つまり執着の強さは、そのまま人生を拘束する力であること。
それを身を持って経験する必要性があると魂が判断すれば、そうした状況を用意されるに過ぎず、あなたはやがて自らの意志でそこから脱却するでしょう。


心の不安定さは、単純に方向性が定まっていないためのエネルギーの拡散となるわけです。
肉体的な不調としてサインをもたらされることもあります。

人生のテーマに、自由があり、また人々からの賞賛を得る生き方がある以上、拘束は破壊的なパワーを持って葛藤を生じさせるでしょう。
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Re: ココナラ dancenet (No.55)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:21
名前:

8

本能が求めている課題にハードルを課しているようなものだからです。
穏やかなイメージをたとえ周囲に与えていてさえ、あなたの本心は常に燃え盛る熱意があるでしょう。
もっと向上したいと願うのは、繰り返しますが、あなたの場合は、単なる欲ではないのです。
社会的に高位のポジションの意味を知るための学びであり、経済的な豊かさの意味を実感するための経験です。

求めながら、辿り付く事を脅える心は、欠乏感を覚えてしまいます。
そして肉体の不調としてサインをもたらされ、さらには精神的な孤立を招くこともあり得ます。

あなたはいくらでも社会的な成功を求めてもかまわない人生を生きていること。
それを忘れないで下さい。

つまり人生を拘束するような要素は何も要らないのです。
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Re: ココナラ dancenet (No.56)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:23
名前:

9

わずかな勇気も時には必要となるでしょう。
人生において不要なものを捨て去るための勇気です。

あなたは自由に生きる権利があります。
この意味するところは、人々の自由をも見出す意義でしょう。
彼らが発する言葉、思い通りにならない行動。
その部分にあなたの素晴らしい心を動かさなくても良いのです。
双方に自由であってもかまわない。
ここに深い学びの意味があります。
人々の自由を認めるほどに、あなたの自由も尊重されていく運命なのです。
なぜなら、そこに課題の本質があるからという純粋な原理があります。

社会的なポジションの向上の意味は、あなたの影響が及ぶ範囲の広さを関わりがあります。
あなたには生来、人々を導くに足る資質を持っているわけですから、広く見識をシェアすることが、社会への奉仕であり、貢献の意義を持つのです。
だからこそ、求めるのです。
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Re: ココナラ dancenet (No.57)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:24
名前:

10

ですから、あなたの求める賞賛の行き着く先には、人々からの大いなる感謝が待っているのです。

自らが独力で得た「力」、たとえば経済力であり、社会的なポジションですが、これを還元することを念頭に置けば、いつしか抱えていた恐怖心は解消されていきます。
もはや何にも執着する心を持たず、まさに自由な人生を生きることにもなるでしょう。

奉仕は無力では出来ないのです。
「力」が必要であることを、あなたは本能的に察知しているだけのこと。
つまり、願いには根源的な理由があるのです。

そしてあなたには叶えきるパワーが秘められている。
自分に与えられた素質、資質、才能を認識すること。
それは人生の認識することに他ならないほどに重要なものになるでしょう。
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Re: ココナラ dancenet (No.58)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:25
名前:

11

強大な力を秘めたあなたの心は、いわば感情を密接に繋がっていますから、エネルギーが拘束されて、停滞が生じるとダイレクトに影響します。
停滞した感情が言葉に及べば、あなたは黙り込むか、周囲には理解しがたい語彙を発するかも知れず、敢えて、態度で感情を知らせるようにするかも知れず、様々な状態に陥ってしまいっます。

わかりやすくいえば、力を持て余すとはこうした状態のことです。

現状維持は、コンフォートゾーンに居続けようとする拘束となります。
コンフォート(快適)なゾーン(空間)だという錯覚が生じるためです。
これもまた、心の脅えから生じる感覚です。

人は脆く、わがままであり、あなたがこれらを完全に掌握することはとても不可能に近いものでもあるために、こうした部分を操作したいと思うのは、自己信頼をさらに遠ざける要因となりかねません。
いっそ手放してみることです。
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Re: ココナラ dancenet (No.59)

日時: 2018/10/04(Thu) 06:26
名前:

12

あなたの自由は、あなただけが勝ち得るものであり、誰も手を差し伸べることは出来ません。
誰かがあなたを自由にしてくれるのではなく、すべてがあなたの心の領域で行われるのです。
見方を変えれば、これほど確実な方法もないのです。

人々は脆くわがままに生きる自由がある、と認識するだけで、心は納得して、執着を手放して、コンフォートゾーンから脱却するように環境自体を変化させてくれるのです。

奉仕を聞くと、大抵は、無償奉仕を想像するのでしょうけれど、これは実際のところ、双方に責任感が伴いません。
つまり過剰な責任を負うことで、人生の一部を差し出すことになりかねず、とても平等とは言い難く、ましてや正当な対価は期待できません。
これを自己犠牲と呼びます。
あなたには慈愛の精神が元々あることから、これらの意義を誰よりもよく知っているはずなのです。
だからこそ、平等性に欠けた一方だけの奉仕にやや抵抗を覚えるでしょうけれど、これは理に適った感覚であり、また、あなた以外には理解しがたい感覚であることも確かです。
特殊な感性ともいえるわけです。
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